私の家には昔から、水場に近寄らないという家訓があります。
真偽の程は定かじゃありませんが、江戸時代から守っている家訓だと祖母から聞いたことがありました。
そんな家訓のせいで、友達からバーベキューのお誘いがあっても川の近くでやると聞けば行けなくなりますし、海にも行けないという理由から海水浴のお誘いも何度なく断っていました。
不思議なことに、他の人よりもこういった水場へ行こうというお誘いが非常に多く、一族全員が強引なナンパや、わけのわからない事態に巻き込まれて水場へ誘われたりとしたことがあります。
私もそんな経験を山ほどしていますが、その中でも特に不可解だったお話を今回はさせていただきます。
11月だったと思うのですが、その日私はいつもより遅めの時間に帰路についていました。
本屋でアルバイトをしていたのですが、今日はクローズにずいぶん時間がかかってしまい、帰宅時間が遅めになってしまったのです。
早く家に帰ろうと早足で歩いていると、小雨がぱらつきだしました。
天気予報では一日快晴だと言っていたのに、と内心で悪態をつきながら歩いていると、目前に何か黒い小さな塊が見えます。
進行方向にいる為、次第に近づいていき、それが塊ではなくうずくまっている人だということに気が付きました。
慌てて駆け寄ると、どうやらそれは老人のようでした。
買い物に出かけたらしいのですが、帰り道がわからなくなったというのです。
住所や名前を聞くと、近所の方の情報と一致したため、私は送っていきます、とその老人に肩を貸しながら帰路につくことにしました。
私が自宅に帰るにはやや回り道ではあるのですが、公園を横断した方がそのご近所さん宅に近いため、いつもは通らない公園を通ることに。
そのご老人は、その時はこんなことを思うと失礼だと思っていたのですが、魚のような、青臭い、生臭い臭いがしていて、少し嫌な感じがしていました。
ですが、心細そうにしている様子や、一緒に帰ると言うとありがとうと言ってくれた感じから、とても悪い人には見えなかったのです。
公園に入ると街灯が減り、昼間とは違い、どこか不気味な印象をうけました。
私が怖がっては、この老人も怖がってしまうかもしれない、と気丈に振る舞っていたせいか、公園の隅にある池の事をすっかり忘れていました。
そういえば、私が普段この公園を通らない理由は、池があるからなのです。
暗かったせいか、老人がもたれかかってきていたせいか、私の足は公園の出口ではなく、徐々に池の方へと進んでいました。
それに気がついたのは、目前に池が見え始めてからです。
そこで急に我に返りました。
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そもそも、なんでこの公園を普段通らないのかということや、出口に歩いていたはずだったのに池の前に来ていたということ。
そして何より、この老人に見憶えが一切ないということ。
それに気がついた瞬間、右腕にしがみついていた感触が、ぎりぎりと縄でしめつけるような何かに変わりました。
右腕の方から、シューシューという空気がもれるような音が聞こえ、あの生臭い魚の臭いが強まっていきます。
私は怖くて、なるべく右側は見ないようにして、亡くなった祖父の顔を必死に思い浮かべていました。
右腕が池の方へとひっぱられだした時、私はもうダメかもしれないと思いかけていたのですが、ふと祖父の顔が思い浮かびました。
「諦めたらダメだよ、強く念じれば怖くないから」
私は池から離れるように必死で足を動かし、そのままどうやって帰ったのか、とにかく急いで家に帰りました。
あの怖い体験から、もう10年以上時過ぎました。
母も父も亡くなっています。
父親はお風呂場で溺死し、母親は海難事故で未だに行方がわかりません。
水場に近寄らないという家訓を持っているにもかかわらず、私達の家系にいる者は必ず水に関連して亡くなります。
私もいずれ、水に引っ張られて死ぬのかもしれません。
あの時の右腕の感覚を思い出しては、私は日々恐怖しています。
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