姉のふりをする「なにか」

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私は、長い間姉がいると思って生活をしていました。

一番最初の姉の記憶は、ベビーベッド越しに私をあやす姉の姿でした。

私のお気に入りの、くまのぬいぐるみを使って、あやしてくれていました。

そのぬいぐるみは未だに私のベッド脇においてあります。

それ以降の記憶はありすぎて書ききれません。

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普通の兄弟がいる家庭のように、家に帰れば姉がいる、という生活でした。

ただ、一つだけ不思議だったのが、両親から姉に話しかけるということは一度もなかったということです。

私がお姉ちゃんの分も料理を用意して、と強く訴えたおかげで、食卓に姉の分も並ぶという有り様です。

ネグレクトの様な状態といえばわかるでしょうか。

姉の部屋もなく、姉はいつも納戸の中にひきこもっていました。

私は、両親に姉の部屋がどうしてないのか、納戸の中じゃかわいそうだとも強く主張しましたが、部屋を増やすことはしてもらえませんでした。

姉も、納戸からは離れられないから、としきりにいっていたため、もしかすると愛着があるのかと思い、それ以降は部屋を作ってと両親に訴えなくなりました。

私が小学六年生になるころ、姉があまり顔を見せなくなってしまいました。

私はそれが寂しくて、よく納戸の戸を叩いて姉を呼んだものです。

姉はその度に戸を叩き返してくれたり、納戸の扉越しに私と話をしてくれました。

そんな事を続けていたある日、母親に連れられて私は心療内科へと向かうことになりました。

カウンセラーに、今までの事や、両親が姉を無視している事、姉は長いことおそらく学校に通学していないという事が心配であると告げると、カウンセラーはとても真摯にその話を聞いてくれました。

それ以外にテスト問題を解かされたり、絵を描いたりといった事もしましたが、総合的に私に問題はないと判断されたのでしょう。

私ではなく、母や父が代わりに病院へと通院することになりました。

何度か市から担当者が派遣され、家の中にやってきて納戸を調べたりもしたのですが、姉は不思議とそういう時には身を隠してしまい、影も形もなくなってしまうのでした。

そんな状態が長く続いたある日、母がお祓いをしようと言い出します。

その頃には食事時になっても姉は納戸から出てこなくなっていため、この話を姉は聞いていませんでした。

私は姉にその話を何の気なしに伝えに行きました。

すると、納戸から激しい叫び声を発し、姉が暴れだしたのです。

その音は凄まじく、リビングにいた両親もかけつける程でした。

ガタガタと揺れる納戸の扉、その奥から聞こえる金切り声に、母親は半狂乱になり、父親は私と母を抱きしめて姉に対して化け物、だとか出て行け、だとか酷い言葉を投げかけます。

私はどうしたらいいかわからず、でも父親の腕がとても汚らわしいものに思えて、衝動的に納戸の中へと飛び込んでしまいました。

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そこからは、何があったか覚えていません。

微かに記憶に残っているのは、体を敷布団で簀巻きにされて、周囲をお坊さんに囲まれてお経を唱えられていたことだけでした。

目が覚めると、見たことがない部屋に寝かされていて、横には泣きじゃくる母親の姿がありました。

もう大丈夫、もう平気だからね、と何度も言う母親はひどく疲れたような顔をしていましたが、今までに見たことがないくらいに綺麗な肌の色をしていました。

私が物心ついた時から、母親の顔色は常に黄土色っぽい茶色のような色だったので、色黒なのだとばかり思っていたのですが、それ以後、母親の肌の色は、常に薄桃色です。

見たことがない部屋だと思ったのは、引っ越しをしたからでした。

母親曰く、納戸には悪いものがすんでいて、それにひきづられていたせいで今までは問題があったのだというのです。

私には自覚がありませんでしたが、何度か夢遊病の様な状態になったり、納戸の中で座り込んで何事かをつぶやいていたりと、奇行を繰り返していたそうでした。

戸籍も見せてもらい、姉がいないという事もきちんと確認しました。

あの納戸から話しかけてきた姉の声、話した内容、そしていつも笑いかけてくれた姉の顔は今でも覚えています。

一体あれはなんだったのか、今でも時々考えることがあります。

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